冬コミ新譜1曲目「solitude」のはなし

どうも。
浮月です。

あけましておめでとうございます。
本年もどうか、よろしくお願いいたします。

さて、冬コミに出した新譜のライナーノーツを順次出していきます。
インスト曲なので、聴いてる方の創造というか、そういったものを阻害する可能性がありますので、
それを了承の上で読んでいただければ幸いです。

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『Reminicense for 20 years』のタイトルについて

『Reminicense for 20 years』について

Q:”Reminicense”じゃなくて”Reminiscence”じゃないの?
A:良く気付いたね! 君のような勘のいいガキは(略
深い意味をちゃんとつけていますよ。
sはsaveの略で本来あるべき場所に無いのは、”追憶の中にsave(救い)なんて無い”
ということを意味しています。
そしてcの代わりにsになっているのは、それでも追憶の中にsaveを求めてしまったり
無理やりにでも救いを見出してしまう苦しさを込めています。

「さらばハイセイコー」みたいなものです。
後ろには夢がないけれども、目を閉じればそこにあるような。。。
ただ過去を懐かしんだりするだけではどうしようもないのです。
でもそうせざるを得ないときもまた、あるのです…。

まぁ、普通に誤字っただけなんですがね(しろめ

冬コミ新譜のはなし

どうも。
浮月です。

随分更新せずにいて申し訳ありませんでした。

◆冬コミの話
取り急ぎなのですが、冬コミまさかの合格でして。
合格を知ったのが結構色々あった時だったりで、かなり厳しかったのですが
何とか新譜作りました。

冬コミ(C87)新譜
『Reminicense for 20 years』

黄昏に見えた記憶、戻らないあの日――
追憶の物語を音楽に落としこんだエレクトロニカ調インストアルバムです。

3日目(30日) 東ラ52bにいます!(多分!

特設ページを作りました!

また、夏コミで頒布した『Ever Garden』も持っていきますのでどうかよろしくお願い致します…!

改めて味わおう ギタドラ育ての親 桜井敏郎 そして “SAFETY SHOES”の優しさと力強さ

どうも。
浮月です。

#音ゲーマー達の発信所 Advent Calendar 2014 が面白そうだと思って参加してみたものの、さて何を書けばいいのかという話で。
ここ最近のIIDXは妙にBPM高い曲ばかりで叙情性もくそも無い悪ノリしたEXILEのインスト曲みたいなのばっかりだと書いてやろうかと思ったらQpronicle Chordの王道感いいゾ~~~~となったことでも書こうか。
それともコナミスタイル東京ミッドタウン店も閉店したりとここ最近のコナミはかなり本気でコストカットをしているのではないか。
そしてそれが顕著に現れているのが現在の音ゲーなのではないか、という話をボルテの公募などから書いてやろうか、と色々と考えたのだが、
前日に記事を書かれたあきぷさんがギタドラの話を書いていたので、それなら自分もギタドラの話を書こうと思ったわけで。

ギタドラ最近やってない。
自分がギタドラを始めたのはドラムの初代から。5年位前に大阪の某所に初代筐体が置いてあったのは流石にびっくりした。
XG3になった辺りから駄目な感じが凄くて酷くてやらなくなってしまった…。
でもVシリーズとかそれよりも前のやつは好き。凄い。
当たり前の話でギタドラはXG3になるまでは本当にやっていた。音ゲーの基礎はギタドラで出来たといっても過言ではない。
今ではすっかり弐寺に移ってしまったが。後スクフェス。

閑話休題

というわけで今回はギタドラの中でも最初期に携わっており、ギタドラを支えたと言っても個人的には過言ではない、ある種ギタドラの育ての親でもある”桜井敏郎”氏と彼が今活動しているSAFETY SHOESの紹介をしようと思う。

そもそも桜井敏郎って誰?

初代drummania自体が稼動して15年、初代XGだって稼動してもう4年半経っているのだから、最近ギタドラを始めた子はもとよりBEMANIシリーズという大きな枠組みでここ最近始め、好きなコンポーザーといえばDJ Yoshitaka氏どころかかめりあ氏やcosMo@暴走P氏等と言い出す奴等からしてみると誰だよという人がいてもおかしくない。まずここから話そう。


XGにも収録されている初出GF1stの名曲「Cutie pie」。
恐らく誰しも1回はプレーしたことがある(と思いたい)定番の練習曲。

桜井敏郎はdrummania(以下dm)の1st,2nd(Vシリーズではない)のサウンドプロデューサーだ。
代表曲としては先にあげたCutie pieを始め、
Eyes of Kids
Good times
I think about you
Depend on me
SAY WHAT YOU MEAN
COSMIC COWGIRL
STOP SPINNING ME IN CIRCLES
YOU ELEVATE ME

うーん往年の名曲ばかりできりがない。もっとあるのだが全曲挙げることになるので止めておこう。
「Depend on me」に関してはつい最近やったBEMANI MUSIC WEEK第二夜でTAG氏が紹介してたので聞き覚えのある方もいるだろう。

(ちなみに「STOP SPINNING ME IN CIRCLES」も少しだけかかってた/最終夜,53分位~/)

ここ最近だとGITADORAで旧曲解禁されたMIDNIGHT SPECIALなんかもそうである(小野秀幸氏とYuei氏の合作)
また、Thomas Howard Lichtensteinを起用したのも彼であり、インスト曲のみだったGF1stから歌ものを取り入れ更に音楽の幅を広げたとも言える。

ギタドラが登場したばかりの頃、自分含め当時まだお小遣いで必死こいてプレーしていた人からすると懐かしくてたまらない曲ばかりではないだろうか。
これらの曲を聴いて育って今曲を作っていますという人だっているはずだ。(自分はそう思いたい)
GITADORAとなった現在では遊べない曲も多いのだが、あれから10年以上経っていてもなお色褪せることなく、むしろある程度色々な経験を経た今だからこそ、彼の作るフレーズやその歌にグッと来るような気もする。

さて、そんな桜井氏だが GF5th & dm4th でコナミを退社してしまう。

彼がコナミ在籍時の最終作GF5th&4thに作られた名曲「ありがとね。」
初めての日本語詩曲であり、ポップンではお馴染み(というには年月が経ってしまっただろうか)SHOWA KAYOこと「林檎と蜂蜜」等でも知られるMAKI氏がBEMANIシリーズに関わった最初の作品でもある。

KONAMI退社後

KONAMIを退社した後の経歴についてはwikipediaに異常に詳しく(本人が書いたんじゃないんだろうかと一部で言われる位に)書かれているので詳細にはそちらを参考にしていただきたいのだが

KONAMI退社 ⇒ dB Communication ⇒ Safety Shoes ⇒ SAFETY SHOES
と大まかに言うことができるだろう。
ちなみに後ろ二つは単に大文字になっただけじゃないかという話でもあるのだが、違うといったら違うのできちんと書いた。
退社してから10年以上経った今もSAFETY SHOESとして精力的に活動している。
そして、まだXGにもなってない、下手すればVシリーズにもなってないころからギタドラを始め、気がついたら「大人」等という言葉で呼ばれるようになってしまった僕らに響く曲をこのSAFETY SHOESは歌っている。

SAFETY SHOESとしての桜井敏郎

如何だろうか。
念のため言っておくがギターを弾きながら歌っているのが桜井氏である。
個人的に1stアルバムや2ndアルバムの方が好きでそちらを紹介したくてたまらないのだが、HPが新アドレスになってからは以前DL出来た試聴版がDL出来なくなってしまっている。
(これに関しては、桜井氏の判断かもしれないが自分としては一刻も早くサンプルあるいはDL購入出来るようにして頂きたいと切に願う)
なのでYoutubeにアップされている曲の中でも好きな曲「眠れない夜」をピックアップしてみた。

“うんとミジメな夜を通り抜けて
新しいドアを訪ねてみる
期待ハズレに終わり君は
最初から期待などしてないと
強がってみせる”

“「今度こそは」とそんな思い秘めて
人知れず君は夢を見る
気がつけばまた同じ場所にいて
自信の欠片がこぼれおちてゆく”

ここにあるのはメッセージ性は強いが、ここ最近のアイドルが歌うような「頑張ろうよ」とか「未来をしっかり見よう」とか「夢を見て進んで行こうよ」等という、バリバリ頑張っている、あるいはキャリアプランに満ちてこれから人生をまい進しようとする人間に向けた応援歌ではないと僕は思う。
むしろどうしようもない独りぼっちな人間の、頑張ったけど少なくとも今は頑張れないしどうしようもない。言葉悪く言えば後ろ向きで、湿ったくて、ウジウジした曲と言えるかも知れない。
それは「強さ」よりも「弱さ」だ。だが、それでもきっと――というささやかな赦し、希望、安堵、肯定が確かにある。

人はあまりにも疲れ過ぎたり追い詰め過ぎると、本来ならば元気が出るであろう応援歌が逆効果になることがある。
「頑張ろう」「夢を見よう」「願いは強く思えば叶う」。
聞こえはいいがこういう言葉は時として「僕は頑張っていないんだ(頑張っているんだけどなぁ、でも違うんだな。自分は駄目な人間だ)」「夢なんてない(そんな自分はどうしようもないんだ)」「自分は人並みに強く願えていないんだ(叶ってないんだから強く願ってないんだ。駄目なやつだ俺は)」と捻じ曲がった解釈として受け止めてしまう。
そして本来応援されるはずの曲は自分自身をどんどん闇に追い込む凶器となってしまう。

そういうものではなく、ビルの間の細い道に独りぼっちで体育座りして地面だけ見ている時に、何も言わず隣に座り、ただ傍にいてくれるような。そんな曲と言えばいいのだろうか。


2ndアルバム『REGENERATE』より自分が愛して止まない「風の丘に寝転んで」。
東京キネマ倶楽部でのライブ映像であり、もう10年近く前の映像になろうとしている。
ちなみにこのライブ、初期のBEMANIファンには垂涎のメンバーでありコーラスにはMAKI氏、タイショーこと浦田隆志氏(ギタドラの「IN YOUR EYES」,「GETAWAY」等を歌っている)、トランペットはマジSKA爆弾のDokiDokiDokky氏、ベースは藤原宏樹氏(「Timepiece phase II」のベース演奏者と言えば分るだろう)、そしてピアノはコナミを退社してから12年も経つというのにここ最近から始めた人でも知ってる人が多い佐々木博史氏である。今見てもヤバイ。

自分もこのライブには行っていて(なので良く見ると自分が映っている。恥ずかしい)、ライブというのはこんなにも凄いものなんだというのを始めて体感した。
そしてCDにサインをもらった。当時(今でもそうだが)佐々木さんのファンだったので佐々木さんのサインももらった。
今でこそコンポーザーとユーザーが会話するなんてロケテストその他でもtwitter等で出来るが、10年前の当時退社していたとしてもそんな時代ではまだなかった気がするし、だからこそサインをもらったりしたことは未だに信じられない思い出だったりする。

話がそれた。
この曲もどちらかというと「弱さ」が、そしてそれを包み込む音は「優しさ」に満ちた曲だと思う。

“目覚めれば夕闇で
気がつけばなくしてて
何もかもが壊れてゆく
ことばかりで

誰かが僕を笑い者にしてる
僕のせいと思い込む
そして口を閉ざしてゆく
悲しい朝に”

“風の丘に寝転ぶ
すてきな気持ちでひざまずく
何もかもが報われてゆくような日が来るよ
風の丘に広がる
空に僕をさらけ出す
忘れられた懐かしい声が
聞こえるまで”

あれから10年がたった今でも、むしろ今だからこそ更に重く、深く入り込んでくる。
僕はそんな桜井氏、そしてSAFETY SHOESの曲が好きだ。

力強くしなやかに


もちろんSAFETY SHOESの楽曲すべてが先に述べたような曲ばかりではない。
嫌な自分自身を変えてようとする姿を軽快に歌う「シューズ」や今までとは異なる、新しい始まりを予感させる強さを持つ「REGENERATE」や最新曲「SOUL DRIVE 55」(この2曲に関してはSAFETY SHOESのWebサイトで楽曲購入可能)等、明るさやパワフルさに満ちた曲調の方が実際は多い。
現在のSAFETY SHOESはどちらかというと先に述べたような雰囲気は息を潜め前向きな音を出していて、今の方が曲としては親しみ易いかもしれない。
個人的には1stや2ndみたいな曲を作って欲しいと思うのだが……。

それでも力強さという点では以前よりもずっと強くなっているように感じる。
今の桜井氏が歌う初期の名曲「パーツ不足の胸の奥」や「再生のうた」は今年のライブで聴いた時は心底感動した。
以前よりもより力強くそれでいてしなやかさに磨きがかかったような気がする。
隣にいてほっとする感じがより強固になったと言えばいいのだろうか。

個人的な願い

これだけいい歌を歌っているのにSAFETY SHOESの話題は全く耳にしない。
ここ最近ライブをやっていないのもあるのだろうが、サイトが見辛かったりサイト上部のメニューとトップページの記事が一致していなかったり、あるいは旧譜のアルバムの頒布が無かったり、トップページメニューのblog2のリンクをクリックしてもblogが出てこなかったりするのがそれなりの割合を占めてる気がしなくもない……。

また、こんな混沌にまみれた記事を読んで下さってる物好きなあなたが、「じゃあそれなら」と思ってサンプル音源を聴こうとしても先に述べた通り以前とは違い、一部の楽曲しか聴けないし殆どの楽曲を手に入れられない。
チャンスを逃していると思うのは僕だけだろうか?

ちなみにアルバム試聴は出来ないと書いたが聴く事が出来ないこともない。
Internet Archiveを使って旧SAFETY SHOESのサイト(wikipediaのリンクにある)にアクセスして、songsの所から実はDLすることが出来る。
わざわざそうしてまでも聞く価値があると思う。
特に1st,2ndアルバムもそうだが、3rdアルバムの「遥かなる夢の都」は是非聴いてほしい。

個人的にはもう退職されたKONAMIのメンバー等をゲストに迎えて以前キネマ倶楽部でやったようなライブをすることなどは出来ないのだろうかと考えてしまう。
呼び水と言ってしまえば言葉は悪いが、こんな良い曲を歌うバンドをギタドラで青春を過ごした人達ですら知らないのはあんまりすぎる。
そこから少しでも聴いてもらえる人がいればまた違う気もするのだが、金銭的な問題や権利的な問題等あるのだろうか。世知辛い…。

しかしそれでもMAKI氏を迎えたライブなどで「Cutie pie」の新バージョンを演奏したり、「ありがとね」のフル版を計画しているような発言があったので、期待できなくもないだろうか…?

いずれにせよ、10年前とは違い今やツイッターでさっくりと良い情報は拡散される時代である。
10年前とは違い、学生時代をギタドラ等で過ごした僕らは、多少は自分のお金は自分で稼げるであろう年齢になっていてもおかしくないはずだ。
僕らが桜井氏の曲を知ってから、沢山の経験をしてよりその歌詞やメロディの持つ力に近づけれるのだと思う。
またSAFETY SHOESの10年は波乱に満ちた10年だっただろう。
だがその分じっくりと熟成され、桜井氏が1曲1曲に思いを込め歌う曲は、ギタドラで過ごした自分たちはもとよりもっと多くの人たちの心を動かすはずだ。

さてそろそろ結びに入らなければならない。
古参ではない方もこの記事を読んでいるのかもしれない。
読んで下さった方々が桜井氏の曲に興味を持ったのなら、ギタドラをプレーする際に選曲してみては如何だろうか。
先に挙げた「Cutie pie」のように難易度もそこまで難しい曲ばかりではない。
スキル上げに専念しすぎて少し疲れた時になんとなく演奏すると、本来のギタドラの楽しさってこんなんじゃないかなぁ、とふと思うかもしれない。

またその流れでSAFETY SHOESに少しでも興味を持ってくれたらとても嬉しい。
少しでも曲を聴いて感じることがあったら桜井氏に感想を投げかけてみてもいいと思う。
サイトにアクセスしたりtwitterだってやっている
以前とは違い気軽に感想を送れる。そんな時代に僕たちは生きている。

最後に、僕がギタドラにおける桜井氏の曲の中で一番好きな曲「Out of Breath」を紹介して終わりにしたい。
唐突に告白するが、高校生の頃自殺を考えたことがある。
生きているのがあまりにも嫌過ぎて、死のうと考えたのだ。
その時に自分を救ってくれたものが3つあるのだが、これはそのうちの1つだ。
ギタドラの中で好きな曲と聴かれたらすぐに浮かぶのはこの曲だ。
恐らく、そう簡単に変わることはないだろう。もう10年も変わっていないのだから。

吐く息が白くなり、自分の息を目視出来るこの季節に聞くとまた違う味わいがある。
この曲は未だにGITADORAに入っていないためVシリーズでしか楽しむことが出来ない。
Vシリーズ筐体を見つけたら是非プレーしてみて欲しい。また、GITADORAに移植されることを切に願う。
そしたら自分もまたGITADORAをやるかもしれない。

ここまで読んでくれてありがとう。
それでは。

『Flagments vol.1』のはなし(5曲目「空の記憶」

◆5曲目「空の記憶」

Fragments-vol.1-の新曲です。
それ以外はSoundcloudにアップしてあるものなのですが
何か1曲は新しいのを入れないと、と思って何を作ろうと考える間もなく
『Ever Garden』には合わないけどどうしても作ってみたい曲というのがあったので
それを収録してみました。

というのも以前とある同人誌を読んでかなり影響というか、衝撃というか、インパクトを受けまして。
これは凄いぞ、と。
同人誌はそう何度も意識して読み返さないのですが、こればっかしは気がつくと今でも時たま読み返す作品で。
夏コミでもこの作品を描かれた方は新刊を出されていたのですが、それも今ばっちし読み返してるので
凄いなぁ。凄いなぁ。と思いながら、読んでいると本当に創作意欲と言うか、自分の中をこう
創造する何かを奥の奥から掘り返されて耕されるような感覚が凄くて。

この作品は『Ever Garden』の最後の曲「描かれた空の下で待つ少女」を作る際にもとても影響を受けた作品で。
自分にとってとても大事な作品の一つでもあって、なんというか感謝しかないなぁ、と。
そういった刺激や感謝等ひっくるめて、その作品から受けたイメージを音に落とし込んでみたい欲望が強くあって
今回作って入れてみました。
勝手に内緒で作ってしまったのですが、先日一応事後報告ですが報告させていただきまして。
なんというか聴いて頂いたらしくご感想までもいただけて、見当違いな曲じゃないかなぁとも思ったりびびったりしていたのですが、
なんと言いますか感謝の言葉しかありません。。。土下座で済むでしょうか。

この曲の雰囲気といいますか、メッセージといいますか、ついてなのですが。
ふと思いも寄らないところから救いというのはあるもので。
じゃあそれを素直に受け取れるかというと実はそうじゃなくて。
今まで過ごしてきた自分はなんだったのか、今までやってきた自分はなんだったのか…。
そういった過去の自分に対する裏切りのようなものを感じることはままあって。

凄くあっけないことであればあるほど、
そういうねじれのような感情があって……。

だけれども、それでも、進んでいかなければならない。

あの時に見た、空の記憶。
それは恐らくふと空を見上げた時に思い返すことがあるだろう。
だけれども。どうか。
ふと、それを微笑みながら懐かしめるように……。

そんなイメージがその同人誌を読んで感じていて、
フレーズはキーボードの前に座るとすっと浮かび上がったので、
それを少しずつ紡ぎながら、積み重ねていきました。

螺子を回す音とかもそうなのですが、直接的な音を入れてみながらも、全体的なイメージは冒頭の空をイメージしてみました。
どちらかというとその同人誌のハラショーな人のイメージになってしまったかもしれません。

その同人誌を読んでなくてもこの雰囲気を伝えられたらなぁ、と感じています。
そういう意味では自分ではそれなりに出来たとは思うのですが。。。むぅ。

この曲を作りながら、音楽って作るの面白いな。
もっともっと、音で描ける世界ってあるんだな。と新しい発見にわくわく出来ました。
そんな感謝を込めながら……。

この曲を聞いて、皆さんの中にある「空の記憶」を思い返して頂けたら幸いです。

『Flagments vol.1』のはなし(4曲目「思い出が溶ける前に」

どうも。
浮月です。

◆4曲目「思い出が溶ける前に」

なぜこの曲を入れてしまったのだろうというのもあるのですが。。。
BPM140という60分DTMのお題でフライングして作ってしまった曲です。
最初のピアノのメロディはイメージできたのですが、その後の展開が良く分からなくて
気がついたら最後の方ができていたと言う真ん中が抜けてるやつです。

小説もそうなのですがどうも出来る部分だけ作ってしまってそこをパッチワーク的に繋いでしまい
後から見返すと変だけどここのフレーズは好きなんだよなぁという感じと言いますか…。

これがまさにそれだったりするのですが、もう少しパッチワーク技術というか学びたいものです。
ちなみに好きなのは最後の終わり方です。この感じは次の曲の「空の記憶」でも使われてたりするのですが…

『Flagments vol.1』のはなし(3曲目「Lakeside」

どうも。
浮月です。

『Flagments vol.1』の2曲目「おまじないを捨てたとき」に関しては
こちらの記事を見ていただければ、と。

というわけで3曲目です。

◆3曲目「Lakeside」

60分ドローイング?でしたっけ。ワンドロ。
皆が1時間であんなに描いてしまうんだからとんでもないなぁ、と思いながら
これって音楽でも出来ないのかなと60分DTMがツイッターで正式に?始まる前に自分で勝手にやってみた時の曲です。

短いながらも、都会の喧騒から離れた湖畔の静けさというか
緑と青が共存する中の畔の、整備されていない道をゆっくり歩くような
そんなイメージを落とし込んでみたつもりです。
今聴き返してみると和遥キナせんせーの黒髪ロング少女イラストの影響を受けてたのかなぁ、と
実際にそういったイラストは描いていらっしゃらないと思うのですが、ふと想像して思ってしまいました。

非常に短い曲で音色数も音自体も少ないのですが、
自分の中ではかなり好きな曲の一つです。

『Flagments vol.1』のはなし(1曲目「My hope」

どうも。
浮月です。

さて、『Ever Garden』のはなしの続きとして、
『Ever Garden』に同梱されたFizzkicksカードに収録してある
ミニアルバム?『Flagments-vol.1-』の曲のはなしも一応。

◆1曲目「My hope」

『ラブライブ!』2期の「私の望み」を見てもう抑えることが出来ない何かを音にしたい!
と思って書いた曲です。
確か自分で勝手に60分DTMみたいなのをやって作った曲ですね。

後にこの曲を元に小説「My hope」を作ることになるのですが、
それに当たって少し手を加えたのがこの曲になります。
希は孤独というか、そういうものを知っているからこそあそこまで察して優しくできると思います。
ただ優しすぎるから、自分がその孤独の辛さを知っているから
自分が我慢すればいい、という思いが先行してしまう場合もあるのでしょうが…。
その意地っ張りさが、絵里…いえ、μ’sみんなの想いによって少し溶けていくような雰囲気を表現できてたらいいのですが。

ラブライブの原作から曲を描き、その曲から小説を紡ぐというのはいつかやってみたかったことだったので
そのやりたかったことが少しでも出来たのはとても嬉しかったです。

『Ever Garden』のはなし(12曲目「描かれた空の下で待つ少女」

どうも。
浮月です。

『Ever Garden』の曲のコメントという名の言い訳…
いよいよ最後の曲になります。

◆12曲目「描かれた空の下で待つ少女」

―私は描かれたこの空の下で、今もあなたを待ち続けている―

『トリコロ』の没キャラ双観 伊鈴の物語を音楽に落とし込んだアルバム『Ever Garden』のエンディングです。
あるいはエピローグ的なものかもしれません。
元々「二人の存在の消失点」を一番最後に置くつもりはなくて、この後にエンディングをきちんと作らないと、と『Snow Drop』を作っていた時から考えていました。

この曲は二つの作品から生まれました。
一つはこの曲の原曲でもある「curtain」です。

この曲を使いたいと思う以前。つまりさてどうしようと考えていた時、実は全く別の叩き台の曲を作っていまして。
ただこれがビックリする位しっくりこない。
どうしてかなぁ、と頭の隅っこで考え続けていました。

そしてそれを打ち破ってくれたのがもう一つの作品で、名前を出して良いかわからないので「ある二つの同人誌」とします(お
ある時、好きなその同人誌がなんとなーく読みたくなったので読んでいると、
このなんというか救いと言うか優しさと、あとがきに書かれていた「未来を夢見るのは人間の特権」という言葉にガツンとやられまして。
あーそうか、と。

自分は『Ever Garden』のエンディングは「二人の存在の交差点」(敢えてこう書きますが)の続きみたいな風に考えていて、
『Snow Drop』後の自分は伊鈴の信条を「私はここに居る。一人でも、ここにいる」という様な
明確な力強さで行こうと思っていたのですがそれはどうも違うぞ、と。
考えようによっては結局、最初と何も変わらないんじゃないのかなぁ、と。
なんと言いますか、意地を張って、むしろ更に透明な壁は伊鈴の周りの世界を狭めているような。
そこには未来なんて見ちゃいない。力強さは感じるけれども、意思は感じるけれども、まるで逆行するかのような。
そうじゃない、と。自分はそこまで追い込むつもりはないし、伊鈴をそういう風に描きたいわけではない、と。

改めて最初の「モノクロームの空の下」から頭の中で、
時にはすぐに止めてしまいましたがノートにキーワードを書いてみて、流れを考えた際にふと浮かんだ音が「curtain」だったのです。

この曲について語ると非常に長いのですが、初めて聴いたのは『Groundbreaking2010』でした。
聴いた瞬間に頭を抱えるくらいに感動したのを覚えています。特にブレイク地点。
穏やかな優しさと悲しさと、そして陽が差し込むような愛しさ。
慈しみといってもいいかもしれないその雰囲気に僕は泣いた覚えがあります。
「curtain」の作者Modulation Spinの一人、eoll氏(江口孝宏氏)がBOF2010で書かれた曲コメント
「素直には喜べない穏やかな終焉」とありましたが、まさにそうで。
その優しくも悲しい、一片の終わりの風景に、先に読んだ同人誌の「未来を夢見る」エッセンスが組み合わさって、すとんとこの物語にはまるような気がしたのです。

浮かんでしまってはもうこれ以外に考えられなくなってしまったわけですが。
作るに当たってはとにかく怖かった。
なんせリミックスというかアレンジというか、人様の曲をはっきりと意識していじるのはこれが初めてで。
そしてなによりもその曲が、昔やっていたネットラジオでも流すくらいに、時折聞いては曲の雰囲気に癒されて、その風景に想いを馳せ、しばし涙を流す位、自分が大事にして愛してやまない曲なので、壊してしまうのではないかという恐怖が物凄くて。
しかも全くの素人がいじる。これはそもそも作曲者の方に失礼なんじゃないか、とか。

悩みつつもどうしてもという思いが勝り、まず筋を通さないととアレンジするに当たって許可の申し入れをした際、
そんな自分に対して、快く「curtain」のアレンジの許可を下さったModulation Spinの江口孝宏氏、takdrive氏には感謝の言葉もございません。

「素直には喜べない穏やかな終焉」を描いた「curtain」に
ある同人誌から受けた「それでも未来を夢見る」というフレーズと
実は同じ作者さんのもう一つ別の作品から受けた「それでも前に足を進める力強さ」を
そして伊鈴の想いという「僕個人の祈り」をありったけ込めました。

結果として限りなくノーマルエンドに近いバッドエンドで
思い切りバッドエンドに出来ない辺りに甘いなぁ、と思うのですがいいんです。
だって自分も見たいもの。伊鈴と『トリコロ』のキャラクターが一緒の世界にいるところ。
透明な壁なんか消えて、あるいはその消失点で、伊鈴が『トリコロ』の世界に認知され、迎え入れられるその瞬間を。

この曲は、双観 伊鈴という少女の「成長」であり「夢見る未来」であり「差し伸べられた手」であり「伊鈴という存在」です。
遠い追憶のようなピアノの音色と、今までの自分が映し出されているかのようにカタカタ動く映写機。
それが消された瞬間に始まる伊鈴のエンディング。

話は少しそれますが、このアルバムにおいてピアノの役割というのは伊鈴と言えばいいのでしょうか。
彼女の心情を表現するようなポジションにいます。伊鈴の分身的なものでしょうか。

序盤のピアノの音色は諦観していた伊鈴を。コードの伊鈴は想いにふける伊鈴を…。
そしてこの曲で初めて、ピアノが「夢で見たあの世界」のようなフルートやストリングスの世界とほんの少しですが絡みます。
(「紫陽花の色が変わるとき」はオケ的なパートでピアノは弾かれていません)
ちなみに前にも言いましたが、「夢で見たあの世界」のような音色は『トリコロ』の原作をイメージしています。
つまり、この曲で伊鈴は初めて、『トリコロ』の世界と交わるのです。

トリコロの世界のような音色と共に最初はフルートの音色と、それこそあの雨の日に瞳が合った多汰美と共に歩むように同じメロディを紡ぎ、
半歩先を進むように違うメロディを奏でた後、「先に行ってるね」というように他の音たちと共に消えていってしまいます。
それはまるで夢を見ていたのかのようなひと時。
確かに一瞬で終わってしまい、それが現実かどうかも分からない。

でも、そこに居る伊鈴は、最初のピアノの音色とは明らかに違うように「未来を夢見て」、意思を持って選択したのです。
モノクロームとも明言されていない「描かれた空の下で待つ」という選択を。
結局の所このアルバムに込めたメッセージは『Snow Drop』とは変わっていなくて
「双観 伊鈴という存在は”あなた”を待っている」ということであって。

待つという選択は消極的なのかもしれません。受動的なのかもしれません。
でも、諦めるよりも、呆然とただ過ごすよりもずっとずっとそれは確かなもので。
そして下手をすればそれはとても難しいことではないでしょうか。

同時に最後はあえて明言しませんでしたが、「何色の」空かは描いていません。
あくまでも「描かれた」空。です。

さて、この曲を聞き終わった時、あなたの心が描いた空は一体どんな空でしたでしょうか。
伊鈴はどのように描かれていましたか?

この曲を聞いて、今も待ち続けている双観伊鈴に会い、
あなたの記憶に再び留めて置いていただけたのならば、これ以上ない幸いです。