『Ever Garden』のはなし(11曲目「二人の存在の消失点」

11曲目「二人の存在の消失点」

―きっと、私たちは出会うことが出来る。遠い遠い。いつまでも続いた先の消失点で―

詳しい話はやっぱり冬コミ後に書いた解説を。
ほぼ言いたいことは全て言ってくれていますので、ここではタイトルが変わった話を。

元々タイトルはこっち、つまり「二人の存在の消失点」の予定でした。
ただ、その時は解説でも書いていた「伊鈴と多汰美の世界が繋がる余韻を残している」イメージが先行して「二人の存在の交差点」というタイトルの方がいいかなぁと思っていました。
でも何度か考えてどうもそうじゃないなぁ、と。

結局の所伊鈴は自分の心が変わったとしても現実問題『トリコロ』の原作世界に交わることなんて出来ないのです。
透明な壁は翌日彼女が目覚めても変わることなくそびえ立っているし、向こうの音は聞こえないし、自分自身の存在は完全に無視されていて。
モノクロームの空の下、今日も彼女は箒で店先を掃除しているのです。

心は変わりました。でも、あれ(伊鈴が見た多汰美の視線)っていうのが本当かどうかすら分からない。
ラジオのチューニングが全く合っていないノイズをJ-POPの様に思えてしまう神経だとしたらなおさらのこと。
だとすれば、確証の無いきっかけで、確実でない、ほんのかすかな希望を持たせてしまったのは本当に良いことなのか。

希望を持たせてしまっている分、この話はとても残酷な話だと思います。
でも、それでも、モノクロームの空の下、希望もクソもない、もはや原作者すら存在を忘れてしまっているのではないかと思えてしまう。
そんな伊鈴にほんの少しの救いがあってもいいはずなわけで。

美術に疎いのですが、「消失点」を調べると「遠近法において、実際のものでは平行線になっているものを平行でなく描く際に、その線が交わる点である。」とあります。
多汰美と伊鈴の存在はまさにそれで、現状決して交わることの無い存在。透明な壁によって分断され、交わらない平行存在。
それでももし、かりそめに、現実には違うとしても交わる希望をこめるとすると、やっぱり語感含め「消失点」の方がしっくりくる。

そう。いつか、どこかで、交わる点(消失点)があると信じて。
彼女は、とても「自発的な」選択をするのです。

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