『Reminicense for 20 years』のタイトルについて

『Reminicense for 20 years』について

Q:”Reminicense”じゃなくて”Reminiscence”じゃないの?
A:良く気付いたね! 君のような勘のいいガキは(略
深い意味をちゃんとつけていますよ。
sはsaveの略で本来あるべき場所に無いのは、”追憶の中にsave(救い)なんて無い”
ということを意味しています。
そしてcの代わりにsになっているのは、それでも追憶の中にsaveを求めてしまったり
無理やりにでも救いを見出してしまう苦しさを込めています。

「さらばハイセイコー」みたいなものです。
後ろには夢がないけれども、目を閉じればそこにあるような。。。
ただ過去を懐かしんだりするだけではどうしようもないのです。
でもそうせざるを得ないときもまた、あるのです…。

まぁ、普通に誤字っただけなんですがね(しろめ

『Flagments vol.1』のはなし(5曲目「空の記憶」

◆5曲目「空の記憶」

Fragments-vol.1-の新曲です。
それ以外はSoundcloudにアップしてあるものなのですが
何か1曲は新しいのを入れないと、と思って何を作ろうと考える間もなく
『Ever Garden』には合わないけどどうしても作ってみたい曲というのがあったので
それを収録してみました。

というのも以前とある同人誌を読んでかなり影響というか、衝撃というか、インパクトを受けまして。
これは凄いぞ、と。
同人誌はそう何度も意識して読み返さないのですが、こればっかしは気がつくと今でも時たま読み返す作品で。
夏コミでもこの作品を描かれた方は新刊を出されていたのですが、それも今ばっちし読み返してるので
凄いなぁ。凄いなぁ。と思いながら、読んでいると本当に創作意欲と言うか、自分の中をこう
創造する何かを奥の奥から掘り返されて耕されるような感覚が凄くて。

この作品は『Ever Garden』の最後の曲「描かれた空の下で待つ少女」を作る際にもとても影響を受けた作品で。
自分にとってとても大事な作品の一つでもあって、なんというか感謝しかないなぁ、と。
そういった刺激や感謝等ひっくるめて、その作品から受けたイメージを音に落とし込んでみたい欲望が強くあって
今回作って入れてみました。
勝手に内緒で作ってしまったのですが、先日一応事後報告ですが報告させていただきまして。
なんというか聴いて頂いたらしくご感想までもいただけて、見当違いな曲じゃないかなぁとも思ったりびびったりしていたのですが、
なんと言いますか感謝の言葉しかありません。。。土下座で済むでしょうか。

この曲の雰囲気といいますか、メッセージといいますか、ついてなのですが。
ふと思いも寄らないところから救いというのはあるもので。
じゃあそれを素直に受け取れるかというと実はそうじゃなくて。
今まで過ごしてきた自分はなんだったのか、今までやってきた自分はなんだったのか…。
そういった過去の自分に対する裏切りのようなものを感じることはままあって。

凄くあっけないことであればあるほど、
そういうねじれのような感情があって……。

だけれども、それでも、進んでいかなければならない。

あの時に見た、空の記憶。
それは恐らくふと空を見上げた時に思い返すことがあるだろう。
だけれども。どうか。
ふと、それを微笑みながら懐かしめるように……。

そんなイメージがその同人誌を読んで感じていて、
フレーズはキーボードの前に座るとすっと浮かび上がったので、
それを少しずつ紡ぎながら、積み重ねていきました。

螺子を回す音とかもそうなのですが、直接的な音を入れてみながらも、全体的なイメージは冒頭の空をイメージしてみました。
どちらかというとその同人誌のハラショーな人のイメージになってしまったかもしれません。

その同人誌を読んでなくてもこの雰囲気を伝えられたらなぁ、と感じています。
そういう意味では自分ではそれなりに出来たとは思うのですが。。。むぅ。

この曲を作りながら、音楽って作るの面白いな。
もっともっと、音で描ける世界ってあるんだな。と新しい発見にわくわく出来ました。
そんな感謝を込めながら……。

この曲を聞いて、皆さんの中にある「空の記憶」を思い返して頂けたら幸いです。

『Flagments vol.1』のはなし(4曲目「思い出が溶ける前に」

どうも。
浮月です。

◆4曲目「思い出が溶ける前に」

なぜこの曲を入れてしまったのだろうというのもあるのですが。。。
BPM140という60分DTMのお題でフライングして作ってしまった曲です。
最初のピアノのメロディはイメージできたのですが、その後の展開が良く分からなくて
気がついたら最後の方ができていたと言う真ん中が抜けてるやつです。

小説もそうなのですがどうも出来る部分だけ作ってしまってそこをパッチワーク的に繋いでしまい
後から見返すと変だけどここのフレーズは好きなんだよなぁという感じと言いますか…。

これがまさにそれだったりするのですが、もう少しパッチワーク技術というか学びたいものです。
ちなみに好きなのは最後の終わり方です。この感じは次の曲の「空の記憶」でも使われてたりするのですが…

『Flagments vol.1』のはなし(3曲目「Lakeside」

どうも。
浮月です。

『Flagments vol.1』の2曲目「おまじないを捨てたとき」に関しては
こちらの記事を見ていただければ、と。

というわけで3曲目です。

◆3曲目「Lakeside」

60分ドローイング?でしたっけ。ワンドロ。
皆が1時間であんなに描いてしまうんだからとんでもないなぁ、と思いながら
これって音楽でも出来ないのかなと60分DTMがツイッターで正式に?始まる前に自分で勝手にやってみた時の曲です。

短いながらも、都会の喧騒から離れた湖畔の静けさというか
緑と青が共存する中の畔の、整備されていない道をゆっくり歩くような
そんなイメージを落とし込んでみたつもりです。
今聴き返してみると和遥キナせんせーの黒髪ロング少女イラストの影響を受けてたのかなぁ、と
実際にそういったイラストは描いていらっしゃらないと思うのですが、ふと想像して思ってしまいました。

非常に短い曲で音色数も音自体も少ないのですが、
自分の中ではかなり好きな曲の一つです。

『Flagments vol.1』のはなし(1曲目「My hope」

どうも。
浮月です。

さて、『Ever Garden』のはなしの続きとして、
『Ever Garden』に同梱されたFizzkicksカードに収録してある
ミニアルバム?『Flagments-vol.1-』の曲のはなしも一応。

◆1曲目「My hope」

『ラブライブ!』2期の「私の望み」を見てもう抑えることが出来ない何かを音にしたい!
と思って書いた曲です。
確か自分で勝手に60分DTMみたいなのをやって作った曲ですね。

後にこの曲を元に小説「My hope」を作ることになるのですが、
それに当たって少し手を加えたのがこの曲になります。
希は孤独というか、そういうものを知っているからこそあそこまで察して優しくできると思います。
ただ優しすぎるから、自分がその孤独の辛さを知っているから
自分が我慢すればいい、という思いが先行してしまう場合もあるのでしょうが…。
その意地っ張りさが、絵里…いえ、μ’sみんなの想いによって少し溶けていくような雰囲気を表現できてたらいいのですが。

ラブライブの原作から曲を描き、その曲から小説を紡ぐというのはいつかやってみたかったことだったので
そのやりたかったことが少しでも出来たのはとても嬉しかったです。

『Ever Garden』のはなし(12曲目「描かれた空の下で待つ少女」

どうも。
浮月です。

『Ever Garden』の曲のコメントという名の言い訳…
いよいよ最後の曲になります。

◆12曲目「描かれた空の下で待つ少女」

―私は描かれたこの空の下で、今もあなたを待ち続けている―

『トリコロ』の没キャラ双観 伊鈴の物語を音楽に落とし込んだアルバム『Ever Garden』のエンディングです。
あるいはエピローグ的なものかもしれません。
元々「二人の存在の消失点」を一番最後に置くつもりはなくて、この後にエンディングをきちんと作らないと、と『Snow Drop』を作っていた時から考えていました。

この曲は二つの作品から生まれました。
一つはこの曲の原曲でもある「curtain」です。

この曲を使いたいと思う以前。つまりさてどうしようと考えていた時、実は全く別の叩き台の曲を作っていまして。
ただこれがビックリする位しっくりこない。
どうしてかなぁ、と頭の隅っこで考え続けていました。

そしてそれを打ち破ってくれたのがもう一つの作品で、名前を出して良いかわからないので「ある二つの同人誌」とします(お
ある時、好きなその同人誌がなんとなーく読みたくなったので読んでいると、
このなんというか救いと言うか優しさと、あとがきに書かれていた「未来を夢見るのは人間の特権」という言葉にガツンとやられまして。
あーそうか、と。

自分は『Ever Garden』のエンディングは「二人の存在の交差点」(敢えてこう書きますが)の続きみたいな風に考えていて、
『Snow Drop』後の自分は伊鈴の信条を「私はここに居る。一人でも、ここにいる」という様な
明確な力強さで行こうと思っていたのですがそれはどうも違うぞ、と。
考えようによっては結局、最初と何も変わらないんじゃないのかなぁ、と。
なんと言いますか、意地を張って、むしろ更に透明な壁は伊鈴の周りの世界を狭めているような。
そこには未来なんて見ちゃいない。力強さは感じるけれども、意思は感じるけれども、まるで逆行するかのような。
そうじゃない、と。自分はそこまで追い込むつもりはないし、伊鈴をそういう風に描きたいわけではない、と。

改めて最初の「モノクロームの空の下」から頭の中で、
時にはすぐに止めてしまいましたがノートにキーワードを書いてみて、流れを考えた際にふと浮かんだ音が「curtain」だったのです。

この曲について語ると非常に長いのですが、初めて聴いたのは『Groundbreaking2010』でした。
聴いた瞬間に頭を抱えるくらいに感動したのを覚えています。特にブレイク地点。
穏やかな優しさと悲しさと、そして陽が差し込むような愛しさ。
慈しみといってもいいかもしれないその雰囲気に僕は泣いた覚えがあります。
「curtain」の作者Modulation Spinの一人、eoll氏(江口孝宏氏)がBOF2010で書かれた曲コメント
「素直には喜べない穏やかな終焉」とありましたが、まさにそうで。
その優しくも悲しい、一片の終わりの風景に、先に読んだ同人誌の「未来を夢見る」エッセンスが組み合わさって、すとんとこの物語にはまるような気がしたのです。

浮かんでしまってはもうこれ以外に考えられなくなってしまったわけですが。
作るに当たってはとにかく怖かった。
なんせリミックスというかアレンジというか、人様の曲をはっきりと意識していじるのはこれが初めてで。
そしてなによりもその曲が、昔やっていたネットラジオでも流すくらいに、時折聞いては曲の雰囲気に癒されて、その風景に想いを馳せ、しばし涙を流す位、自分が大事にして愛してやまない曲なので、壊してしまうのではないかという恐怖が物凄くて。
しかも全くの素人がいじる。これはそもそも作曲者の方に失礼なんじゃないか、とか。

悩みつつもどうしてもという思いが勝り、まず筋を通さないととアレンジするに当たって許可の申し入れをした際、
そんな自分に対して、快く「curtain」のアレンジの許可を下さったModulation Spinの江口孝宏氏、takdrive氏には感謝の言葉もございません。

「素直には喜べない穏やかな終焉」を描いた「curtain」に
ある同人誌から受けた「それでも未来を夢見る」というフレーズと
実は同じ作者さんのもう一つ別の作品から受けた「それでも前に足を進める力強さ」を
そして伊鈴の想いという「僕個人の祈り」をありったけ込めました。

結果として限りなくノーマルエンドに近いバッドエンドで
思い切りバッドエンドに出来ない辺りに甘いなぁ、と思うのですがいいんです。
だって自分も見たいもの。伊鈴と『トリコロ』のキャラクターが一緒の世界にいるところ。
透明な壁なんか消えて、あるいはその消失点で、伊鈴が『トリコロ』の世界に認知され、迎え入れられるその瞬間を。

この曲は、双観 伊鈴という少女の「成長」であり「夢見る未来」であり「差し伸べられた手」であり「伊鈴という存在」です。
遠い追憶のようなピアノの音色と、今までの自分が映し出されているかのようにカタカタ動く映写機。
それが消された瞬間に始まる伊鈴のエンディング。

話は少しそれますが、このアルバムにおいてピアノの役割というのは伊鈴と言えばいいのでしょうか。
彼女の心情を表現するようなポジションにいます。伊鈴の分身的なものでしょうか。

序盤のピアノの音色は諦観していた伊鈴を。コードの伊鈴は想いにふける伊鈴を…。
そしてこの曲で初めて、ピアノが「夢で見たあの世界」のようなフルートやストリングスの世界とほんの少しですが絡みます。
(「紫陽花の色が変わるとき」はオケ的なパートでピアノは弾かれていません)
ちなみに前にも言いましたが、「夢で見たあの世界」のような音色は『トリコロ』の原作をイメージしています。
つまり、この曲で伊鈴は初めて、『トリコロ』の世界と交わるのです。

トリコロの世界のような音色と共に最初はフルートの音色と、それこそあの雨の日に瞳が合った多汰美と共に歩むように同じメロディを紡ぎ、
半歩先を進むように違うメロディを奏でた後、「先に行ってるね」というように他の音たちと共に消えていってしまいます。
それはまるで夢を見ていたのかのようなひと時。
確かに一瞬で終わってしまい、それが現実かどうかも分からない。

でも、そこに居る伊鈴は、最初のピアノの音色とは明らかに違うように「未来を夢見て」、意思を持って選択したのです。
モノクロームとも明言されていない「描かれた空の下で待つ」という選択を。
結局の所このアルバムに込めたメッセージは『Snow Drop』とは変わっていなくて
「双観 伊鈴という存在は”あなた”を待っている」ということであって。

待つという選択は消極的なのかもしれません。受動的なのかもしれません。
でも、諦めるよりも、呆然とただ過ごすよりもずっとずっとそれは確かなもので。
そして下手をすればそれはとても難しいことではないでしょうか。

同時に最後はあえて明言しませんでしたが、「何色の」空かは描いていません。
あくまでも「描かれた」空。です。

さて、この曲を聞き終わった時、あなたの心が描いた空は一体どんな空でしたでしょうか。
伊鈴はどのように描かれていましたか?

この曲を聞いて、今も待ち続けている双観伊鈴に会い、
あなたの記憶に再び留めて置いていただけたのならば、これ以上ない幸いです。

『Ever Garden』のはなし(11曲目「二人の存在の消失点」

11曲目「二人の存在の消失点」

―きっと、私たちは出会うことが出来る。遠い遠い。いつまでも続いた先の消失点で―

詳しい話はやっぱり冬コミ後に書いた解説を。
ほぼ言いたいことは全て言ってくれていますので、ここではタイトルが変わった話を。

元々タイトルはこっち、つまり「二人の存在の消失点」の予定でした。
ただ、その時は解説でも書いていた「伊鈴と多汰美の世界が繋がる余韻を残している」イメージが先行して「二人の存在の交差点」というタイトルの方がいいかなぁと思っていました。
でも何度か考えてどうもそうじゃないなぁ、と。

結局の所伊鈴は自分の心が変わったとしても現実問題『トリコロ』の原作世界に交わることなんて出来ないのです。
透明な壁は翌日彼女が目覚めても変わることなくそびえ立っているし、向こうの音は聞こえないし、自分自身の存在は完全に無視されていて。
モノクロームの空の下、今日も彼女は箒で店先を掃除しているのです。

心は変わりました。でも、あれ(伊鈴が見た多汰美の視線)っていうのが本当かどうかすら分からない。
ラジオのチューニングが全く合っていないノイズをJ-POPの様に思えてしまう神経だとしたらなおさらのこと。
だとすれば、確証の無いきっかけで、確実でない、ほんのかすかな希望を持たせてしまったのは本当に良いことなのか。

希望を持たせてしまっている分、この話はとても残酷な話だと思います。
でも、それでも、モノクロームの空の下、希望もクソもない、もはや原作者すら存在を忘れてしまっているのではないかと思えてしまう。
そんな伊鈴にほんの少しの救いがあってもいいはずなわけで。

美術に疎いのですが、「消失点」を調べると「遠近法において、実際のものでは平行線になっているものを平行でなく描く際に、その線が交わる点である。」とあります。
多汰美と伊鈴の存在はまさにそれで、現状決して交わることの無い存在。透明な壁によって分断され、交わらない平行存在。
それでももし、かりそめに、現実には違うとしても交わる希望をこめるとすると、やっぱり語感含め「消失点」の方がしっくりくる。

そう。いつか、どこかで、交わる点(消失点)があると信じて。
彼女は、とても「自発的な」選択をするのです。

『Ever Garden』のはなし(10曲目「夢」

◆10曲目「夢」

―夢を見た。それは、どこか優しかった―

11曲目「二人の存在の消失点」の前に一つはさんでおきたいな、と思ったのがきっかけで生まれました。
幕間とでも言えばいいのでしょうか。
目を覚ます直前に見る、ほんのかすかに記憶に残っている「夢」をイメージしています。
それは近い予兆のような色合いを持っていて、だからこそ次の「二人の存在の消失点」のメロディが組み込まれています。

眠りと現実の境目のあいまいな夢の世界で見たようなこの曲は、本当に短い曲なのですが
この物語の事実上の終わりである「二人の存在の消失点」を上手く導いてくれるものになったのではないかな、と感じています。

『Ever Garden』のはなし(9曲目「紫陽花の色が変わるとき」

◆9曲目「紫陽花の色が変わるとき」

―私は、思い違いをしていたんだ―

多汰美と邂逅したその日に見た夢をイメージしています。
「Noise」もその色が強いのですが、あっちは伊鈴の心の動きを描いたとするとこの曲は夢の「風景」でしょうか。

今までそれが当然であるかのように断絶された世界を生きてきた伊鈴。
だれからも認知されることの無い。自分から声を発しても気づかれることの無い。
そんな生きていても仕方ないような世界に生かされている。
仕方ない。仕方ない。と、店の前を掃除しながら諦観していた少女に訪れた一瞬の出来事。
それが事実であるのかどうかはわかりません。
伊鈴の勘違いであるかもしれない(むしろ勘違いである可能性はとても高い)。
伊鈴自身もこれは勘違いかもしれない。そう思いながらもどこかでこのきっかけを信じずにはいられなかった。
あの時の多汰美の存在は、まるで救いのようだった――。

何も無い世界に響くピアノの音は、世界から無視され、たった独りで存在し続けていた彼女の独白。
その独白は彼女の夢の中で確かに色を変え、そして暖かい世界の中に溶け込まれていく。

紫陽花は土の酸度によって色が変わりますが、どちらかというと
「伊鈴の心が変化した」という意味合いを含ませたつもりです。
「紫陽花の色がかわるとき」とはつまり、「伊鈴の心がかわるとき」でもあるのです。

そして、彼女は一つの答えを持って、翌日を迎えます。

『Ever Garden』のはなし(8曲目「Noise」

どうも。
浮月です。

『Ever Garden』の曲のコメントという名の言い訳…
今回はもう一つの問題児かもしれない曲です。。。

◆8曲目「Noise」

―ほんとうは、わたしは……―

まーた1曲目みたいな曲作って。という話なのですが。
今まで「諦観」のように過ごしていた伊鈴にノイズが走る心情を落とし込んでみました。
あまりにも安直といえば返す言葉も無いのですが、ノイズのある曲を1曲は入れようと決めていて。
とは言ってもモノクロームの空の色よりかはもう少し綺麗と言うか、キラキラと光るような何かでありたいと言う気持ちがあって。

元々この位置の曲は「ラジオから聞こえる音」を考えていました。
でも世界からは断絶されているからもちろん聞こえるわけないのですが、それでも伊鈴は聴こえているわけです。
非常に難しいのですが、伊鈴からすれば音として聴こえているラジオのノイズとでも言えばいいのでしょうか。
自分たちから聞くと雑音でしかない。でもその音しかない伊鈴にとってはオーケストラやポップスに聴こえるような。
とてもいかれているのですが、伊鈴はそこまで追い込まれている(あるいはそういう場にいる)というのを考えていました。

さすがに可哀想だなぁという気持ちが最後の曲を作ってる最中湧き上がってきて
曲をぐにゃぐにゃにするよりも、ドローンとかノイズを入れてみて、
ラジオの周波数が合ってないような感じを出しながらも、
残響するピアノの音が心に波紋を与え揺れ動かすような雰囲気を出してみました。
多汰美というノイズが、存在されない、無視されていることをもはや受け入れてしまっている伊鈴の心に揺らぎを与えた。
そんなイメージを少しでも感じて頂けたらと思っています。